あるべき姿ではなく、ありたい姿へ

 20台前半の若い頃、仕事が全然できなかった私は、「このままでは何もできない使えないまま30歳になってしまう。まずい、、何とかしなくては・・・!」ととても焦っていました。
 どうしようか考えていた時、ふと閃きました。「そうだ。仕事ができる人のように振る舞ってみよう」
 まずは形から。服装をカジュアルなものからジャケット着用に変えて、靴もスニーカーからパンプスへ。歩き方や椅子に腰かけるときの座り方も、都心で働くバリキャリの管理職のようにしてみました。仕事での話し方も、低い声でできる人風に。
 もちろん形だけ変えても仕方ないので、仕事に関する専門書を山ほど買って勉強も始めました。でも、わからないところだらけでだったので、中学生が足し算からやり直しているようなレベルでコツコツと。心が折れそうになりながらも勉強を続けると、数か月後には仕事で上司や先輩から指示される内容が理解できるようになってきました(恥ずかしながら、それまでは何を指示されているかも曖昧なままだったんです)。

 

あるべき姿になることを目先の目標にすり替えていた。でも仕方なかった。

 それから年を重ね、自分なりに少しは仕事ができるようになって来たかな?と感じ始めた頃には、次第に仕事上の立場や、売り上げやプロジェクトの成功といったビジネス目標に沿った成果を求められるようになってきました。
 単純に仕事ができるようになることを目指していれば良かった若い頃と違い、今度は「上司だったらどう振る舞うだろう」「ビジネス本で有名な〇〇さんだったら、どう考えるだろう」と、ロールモデルから逆算して答えを求めました。
 元々、劣等感の権化で、いつも死ぬことを考えていた自分です。死ぬ勇気は今ないから働くしかないという発想。全然仕事ができないんだから、会社から求められる”あるべき姿”に近づくには体を張るしかないとばかり必死に働きました。

 さて、更に時を経て、とある仕事の懇親会でのことです。同じ仕事をしている同僚の方が、責任者に向かって衝撃的なことを発言されました。
 
 「いまは仕事がすごく楽しいです」

 その方は年齢こそ多少違うものの、仕事内容的には私とほぼ同じで、仕事量も私と同じかもっと多いくらいこなしているので、絶対に大変なはずです。それで仕事が楽しいなんて・・・。何で?どうして??
 考え続けて得た結論は、何をしたとしても結局その人の受け取り方次第なんだというシンプルなものでした。そして、辛い辛いと言いつつあるべき姿に沿って働き続けていた自分は、実はありたい姿とは何だろうと考えることから逃げていたことに気づいたのです。

ありたい姿を考えるのって難しい。まずは、自分を本心を大事にすることから。

  ありたい姿を明確にしないと、楽しく働けなさそうだと気づいたのは良いですが、急にありたい姿が浮かんでくるはずもありません。そこで、自分に質問をしながら自分の本心を探ってみることにしました。
 やり方は簡単で、夜寝るときに目を閉じて、心の中で自分に質問をして、浮かんでくる感情をそのまま感じるだけです。一人二役で、本心に語り掛けるような感じです。

 私「私のありたい姿ってどんなだろう?」
   → 本心「・・・・・(無反応)」

 私「仕事がすっごく辛いの。今すぐ会社を辞めるのが直近のありたい姿なんだけど、どうかな?」
   → 本心「嫌!(今のタイミングで辞めるのは無責任だよね)」

 私「じゃあ、辞めずに会社に勤めて頑張れるかな?」
   → 本心「それは無理」
 
 私「じゃあ、別の会社に転職する?」
   → 本心「それも無理」

 私「じゃあ、起業してフリーで働いてみる?」
   → 本心「良いとは断言できないけど嫌ではないかな(辛い会社勤めよりは良いかも)」

 私「起業するのって私のありたい姿かな?」
   → 本心「わからない。でも、会社員を続けるより希望が持てそうな気がする」


 一度ではなかなかスムーズに行かないので、本心が感じている感覚が理解できるまで何度も(幾晩も)繰り返します。もちろん、いきなり辞めるだの、起業だのといった質問をする必要もありません。

 以前お伝えしたジャーナリングの方がしっくりくる方もいるかもしれませんが、
本心との対話、良かったら試してみてくださいね。